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スペイン在住17年!一歩ずつ着実に歩んだ海外生活の軌跡 ―盛 千夏

「海外で生活するなんて、本当に大変なことだらけで」

将来は日本を飛び出して海外で働いてみたい、生活してみたい。
就職や進学にあたって、そんな夢を持っている人も少なくないと思います。

しかし、華やかなイメージの裏で、現実の海外生活は一筋縄ではいかないようです。

今回お話を伺ったのは、スペインのバレンシアにて、留学エージェントをしている盛 千夏さん。
目の前の困難を自分の力で乗り越え、着々とスペインでの地盤を作ってきた彼女の軌跡は、とても泥臭く、リアルなものでした。

18歳でアイルランドへ単身留学

盛さんが初めて日本を飛び出したのは、英語系の高校を卒業した18歳の頃。
進路選択にあたって両親から提案されたのは、大学に行くか、海外に留学するかの二択。
そこで「海外の方が楽しそう!」と、特別な抵抗もなくアイルランドへの留学を決めました。

当時はインターネットの情報もなく、入学にあたっては、手紙を通して学校とやりとり。
後に続く困難に自分の力で立ち向かう姿勢が、この頃から養われてきたのかもしれません。

日本で社会人経験を積む

9ヶ月間の語学留学を終えた後は、一度日本に帰国して印刷・出版系の会社で社会人経験を積みます。
その頃の盛さんは、日本で働きつつも、より豊かに生活する手段を日々考えていました。

結論として導き出したのは、英語に加えて、もう1つ言語を取得すること。
語学力は、いくつかのスキルを掛け合わせて、ようやく力を発揮するものです。
得意だった英語を活かすためにも、需要の多いスペイン語を取得することを決意したのです。

バレンシアでスペイン語力を磨き、バルセロナにて就職

再び日本を発ち、スペインのバレンシアへ。
語学学校でスペイン語を学びながら、現地で働くチャンスを探ります。

しかし、スペインで日本人が仕事を見つけるのは困難を極めます。
そもそもスペインは失業率が17.1%(2017年7月)と、多くの失業者を抱える国です。
ましてや遠く離れた国からやってきた日本人が働く場所となると、選択肢は非常に限られるのです。

一度目の留学の際はチャンスを掴みきれずに、一旦日本へ帰国。二度目の留学でようやくバルセロナの仕事を見つけ、本格的に働き始めたのは2003年のことでした。

3ヶ国語(日本語、英語、スペイン語)が堪能であることに加え、印刷・出版の知識があったことが要因となり、ついに労働許可が下りたのです。

バルセロナで勤めた後、再びバレンシアへ

バルセロナでは、医療系の出版社にて4年間勤めました。
日本との仕事観の違い、仕事柄多い残業にストレスがたまり、当時は何度も帰国しようと考えたそうです。
そんな厳しい状況の中でも、次なるチャンスが訪れるのをじっくり待ちます。

その後、バレンシアのレストランにて、ホールマネージャーに転職しました。
これまでと違った職種であり、労働条件も決して良くはありませんでしたが、留学時に気に入っていたバレンシア生活を選択し転職。

「仕事と生活、自分の好きな環境を同時に手にするのは難しいです」と語る通り、一歩一歩着実にスペインでの地盤を固めていきました。

バレンシアで勤めた後、フリーランスへ

バレンシアのレストランで勤めた後は、語学学校のスタッフに再び転職。
スペインで仕事を見つけるには、人と人との信頼関係(スペイン語で”エンチューフェ”)がとても重要な要素です。

語学学校の仕事に誘ってくれたのも、以前からつながりを持っていた友人でした。

盛さん曰く、語学力とコミュニケーション能力は全くの別物。

スペインで生活する上では、単に語学力を磨くだけでなく、文化やちょっとしたジョーク、世間話への受け答える力も磨かなくてはいけません。

語学学校では、本業と同時進行で、個人で留学エージェントの仕事も始めました。
そして2017年9月にフリーランスとして独立を果たし、現在に至ります。

収入面や働く時間・場所の自由度を考えても、ようやく理想的な働き方の選択ができたのです。

常に「今」が一番充実している

労働許可を待ちながら、じっくりと仕事を探し続けたバレンシアでの留学生活。
過酷な労働環境、慣れない街でチャンスを待ちながら働いたバルセロナでの日々。
着実に信頼とキャリアを積み重ね、自分のペースで働き始めたフリーランス生活。

盛さんは「今思うと大変だったけど、常にその瞬間が一番充実しているかな」と話してくれました。

誰もが憧れる海外生活は、イメージに反した泥臭いストーリーでした。
理想の生活は、困難から逃げてばかりで掴めるものではありません。

自分の力で困難に立ち向かい、一歩ずつ着実に歩みを進めるのが一番の近道なのです。

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テツヤマモト