コラム

好きなことを思い切りやること、仕事にすることの違いとは。

表舞台からの退却が、未来への新たな一歩となった

言葉あそびがうまいひとは本当に賢い人だと感心させられてしまう。

10代の頃に出逢い、何度も衝撃を受けた人がいた。
その人は、言葉で人を笑わせる、「漫才師」だった。
当時は学校の中だけで披露するネタが、いつしか全国で認められ、プロになり、色々なメディアに露出するようになった。

彼は別に、最初から漫才師を職業にしようと思ったわけではなかった。
賞レースで優勝し、特典の事務所所属。みんなが憧れる立ち位置だったけれど、彼はその世界に自分が体をうずめていくなかで、ずっと疑問を抱いていた。

僕は、これを仕事にしたいんだろうか。

思えばビジネスでもないのに舞台でスーツをかっちりと着て漫才をするというのは、なんだか不思議な風潮でもある。彼もそのスタイルを常に守っていた。
相方は違う格好をしていたけれど、彼はネクタイ選びまできちんと考えて舞台に上がった。
プロ意識なのかな、と私はぼんやり想っていた。

事務所に入ると、色々な作家やライバルたち、観客の目に触れることになり、これまでやってきた「自分の面白いと思うこと」の枠の外を出た「求められるもの」が現れてきた。
見た目もそうだ、観客からどう人気をとるか、自分たちを実際生で見てみたいと思われるか、どんな気の利いたことがコメントできるか、飽きられないネタはどうやってつくるか。
これまで長きにわたって友人として並走してきた相方は「仕事仲間」になり、いつしかバラバラの仕事も増え、毎日一緒に過ごしていた日々はなくなった。

彼は思った。
僕は、あれほど夢中になって青春をささげてきたことが嫌いになりかけている。

それでも、大学に通いながら仕事をして、大学のサークルでもお笑いをやった。
形式は漫才もあればコントもあり、大喜利をやることもあった。
サークルの中は仕事とは違って自由で、友人と遅くまで何が面白いか喧々諤々と話し合って、他の大学の仲間たちとも、現場で会うたびに元気にやってるか、負けないぞと声を掛け合った。

楽しかった。
大学を出ても、どうにかこんな生活を続けていけないものかと願った。
仕事と同じように、人を笑顔にしたいということなのに、抱く気持ちが全く違った。

大学という、学び舎でお笑いとは全く違うことに触れながら、それを終えたら仲間たちと自分の夢中になれることを集まってやる。
それが、いつまでも続くようにするには、どうすればいいのか。
365日24時間、お笑い漬けになったとして、今のように生きていけるか?

彼は決断した。
お笑いを仕事にするのは、もうやめよう。

彼は漫才の時とはちがうスーツに身をまとい、一般的に言う「仕事らしい仕事」についた。
大手のグループ会社で自分とは違う経験をしてきた人と沢山出会い、慣れない仕事に悩みつつ、時に成功を収めつつ、その環境になじんでいった。

そんな彼が先日お笑いライブを大学の仲間たちと開いた。
仕事で行けなかった私に、友人が帰りに「すごく楽しそうにやっていて、安心した」と連絡をくれた。

彼はちゃんと、まだお笑いに夢中でいる。
賞レースにかぶりついて、好きな芸人を応援して、自分だったらどうするかを真剣に考える。
今の、自分の世界があって、覚悟を決めてあえてプロの世界から抜け出したからこそ、彼は自分の人生を謳歌しているように見える。

好きなことを仕事にして夢中になれる人がいるのも事実だ。
そんな人はやっぱり輝いて見えるし、うらやましくなることもある。
けれど、好きなことを仕事にできないから、負け組なのか。
人生はそんなに単純な話ではないと思う。

むしろそれが自分にとって尊い決断になることがある。
それだけ分かっていれば、挑戦も、少しは怖くなくなる。

やってみて、合わなかったら、立ち止まる。
それでも捨てたくなかったときに、ようやく、私たちは選択ができる。
好きなことと、どう向き合っていこうか。

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皐月彩