インタビュー

壮絶な闘病生活といじめ。理不尽と立ち向かったミュージシャン―果穂

大学に通いながら札幌交響楽団の専属合唱団でソプラノ歌手、ソロでライブ活動をしているという果穂さん。

その華やかな肩書きと可愛らしい容姿から、苦労を知らない人だと言われることもしばしば。

果穂さんの地元は美瑛。音楽をやりたい一心で、学費、音楽、生活費、そのすべてを自分で払うという約束で、札幌にでてきました。

彼女の小さい身体では抱えきれないような苦悩や困難、それを乗り越えた今の姿がありました。

白血病、そして子どもを産めない身体に

1歳で急性骨髄性白血病を患ったという果穂さん。当時は余命3ヶ月と宣告されました。

「すぐに治療をはじめ、抗がん剤を使って一命はとりとめたものの、3歳で再発しました。5歳のときに骨髄移植をしました。移植してからは順調に経過して、無事にいまは生きています」

ただ、一命を取りとめた代わりに強い薬を使ったため、別の病気が残ってしまったといいます。

「中学校に入学する直前に、性腺機能低下症という診断を受けました。私は子どもを生むことができないと宣告されました。治るものではなく、今も通院、治療をしています」

「死ね」と言われる毎日

闘病と並行しながらの学校生活も苦しかったという果穂さん。

「子どものころはずっと寝たきりでした。小学校に入学した時点で髪も生えそろっていなかったし、同級生と同じように歩いたりすらもできませんでした。みんなに馬鹿にされるし、小学校中学校と楽しい思い出がなくて学校は嫌いでした」

楽しめないまま卒業しましたが、勉強は努力を重ね、第一志望の高校に晴れて入学が決まりました。しかし、少し時間が経つと、いじめられるようになったといいます。

キモイ。ぶりっこ。死ね。そんな風に四六時中言われるようになりました。昼休みはトイレに逃げたりしていましたが、扉を蹴られたり、ノートを破られたり。ドラマみたいな世界ですよね(笑)」

毎日死ねと言われるために高校に行っているのか……一生懸命学校には通い続けましたが、徐々に教室には入れなくなっていきました。

行きたくて選んだ高校を辞めるなんて、と思い悩みましたが、やがて時間の無駄であると確信した果穂さんは自主退学を決意。通信制の高校に改めて入学します。

「再入学したのはいいものの、当時は中退するなんて人生の終わりだと本気で思っていました。道行く高校生をみていたら自分がみじめでたまらなくなって。希望が見えなくて、鬱になり心療内科にも行きました。でも全然楽にならなかったんです」

もらった命は捨てられない

思い詰めて命を絶つことも考えましたが、果穂さんには思いとどまる理由がありました。

「子どものころから病気の自覚があって、自分は本当は死ぬはずだったんです。骨髄移植もしたので、人からもらった命という自覚がありました。どうしても自分から死ぬことはできませんでしたね。楽になりたい気持ちと、もらった命だから生きなきゃという葛藤がありましたが、後者が勝ちました」

涙が枯れるまで泣いた後にみえたのは、少しばかりの希望でした。

「子どもの頃からの否定的な体験が重なり、ずっとネガティブだったんですけど、このままじゃいけないと思いました。少しづつ、物事をポジティブに考えるようにしていきました。実は中学生のときは合唱部に入っていて。鬱になっていた間は聴きたくもなかった歌を、自分でもう一度歌いたくなったことをよく覚えています」

それから勉強に励む以外にも、新しく合唱団に入ったり、音楽も精力的にはじめます。進路を決めるにあたって出た結論は、音楽ができる大学に行くということ。自分で学費と生活費、そのすべてをやりくりすると約束し、大学進学を決めました。

神様はいないかもしれない。でも……

晴れて第一志望の大学に合格、音楽の勉強が専門的にできることを心待ちにしていた果穂さん。新しい人生がはじまると思っていた矢先に悲劇が起こります。

「高校を卒業してから最後の春休み、ここずっと大丈夫だった健診で異常がみつかりました。精密検査をしたらバセドウ病という診断がつきました。あのときは神様っていじわるだな、と思いましたね」

体調に不安を残したまま札幌にでてきた果穂さん。不安は的中し、周りと同じように大学に通うことは叶いませんでした。

「死ぬほど悔しかったんですけど、体調には勝てなくて。みんなと同じように毎日大学には通うことができませんでした。でも勉強は続けたかったので、放送大学に再入学しました。でも本来の目的であった音楽をどうしようかと思ったときに、札幌交響楽団のオーディション情報を目にしたんですよね。札幌交響楽団は北海道唯一のプロオーケストラです。自信はまったくなかったけれど、やらずに後悔したくなくて挑戦しました

結果は、なんと合格。

「入った当初は、教育も受けてないし、クラシックは初めてでした。ドイツ語も読めないし、入団当初は全然ついていけませんでした。でも、必死に食らいついて今の私があります」

彼女が伝えたいメッセージ

「人生はどこからでもやりなおせるんです。自分の力じゃどうにもならないことだってあるけれど、おおよそのことは自分次第で変わることがあるんだと思います」

死んでいたら、こんな感動を味わうことができなかったんだろうなぁ。初めて立った札幌交響楽団のステージでそう思ったのだそう。

「病気をしていなかったら全然違う幸せがあったとも思います。病気になったことも、いじめられたことも、中退したことも、当時はすべてがつらかったです」

遠回りばかりの人生だった、と自分の歩んできた道を振り返ります。

「でも、自分次第でどうにでもなるんです。ほら、こうやっていまは笑っていられるじゃないですか。それでいいと思うんです」

学校に行きたくないな。仕事いやだな。なんか生きるの疲れちゃったな。そんな人になにか感じてもらえるような歌手でありたいと話す果穂さん。個人としての音楽活動もスタートしています。

誰もが羨むその美貌と経歴には、絶望の末、明るい未来を見据える凛とした信念が見え隠れしているように感じました。

写真:本人提供

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マコ