インタビューピックアップ

ともかくうごこう、を信念に。秋田を愛し生きていく―伊藤正希

「秋田を心から好きだ!って言ってくれる人を増やしたいんです」

そう語る、伊藤正希さん。毎日笑いがたえない居酒屋「浜焼太郎秋田川反店」の店主として、夫婦で居酒屋を切り盛りしています。

そんな正希さんは、いまの生き方に至るまで、数多くの失敗を経験してきたんだとか。

メッセージ性に溢れた彼の人生。
秋田から全国の若者へ。熱い想いをお届けします。

挨拶、上下関係。サッカーの経験が今のベースに

小さい頃は好き嫌いが激しく、月曜日に学校に行くのが嫌いだったという正希さん。
小学校3年の時にサッカーを始めると、ここから社会人になった現在に至るまでサッカーに夢中になりました。

「部活って挨拶や上下関係などを大切にするじゃないですか。そういうのが今でも自分の下地になってます」

「ツッぱってる人」たちに教えてもらったこと

中学校では毎日サッカー漬けの3年間。東北大会にも連続出場する強豪校で、高いレベルに身を置いてサッカーに打ち込みました。その後地元の工業高校に推薦で進学し、サッカー部に入った正希さんに転機が訪れます。

「中学の部活とは意識レベルがかなり違っていて。それにより不満が重なって、徐々に部活に行かなくなりました。そこから別のグループと遊ぶようになりました。いわゆる、ちょっとツッぱってる人たちです(笑)」

これまでとは違うタイプの友人たちに囲まれ、一度サッカーから離れた中でも大切な気づきがあったそう。

「いけないことは、本当にいけないんだ、って。当たり前ですけど悪いことをしたら本当に捕まるんだということを仲間が捕まって知ったり、バイク事故で死ぬ仲間が出たり。そういう経験って誰もがするものじゃないと思うし、今では財産だなと。サッカーだけをやっていたらわからなかったので」

その時の仲間とは今でも繋がりがあって、中には経営者になった人もいるんだとか。

自分らしさ、は多くの職を経験してみつかった

親の負担も考えて進学を諦め、地元の鉄鋼工場に勤めることになった正希さん。
その社会人デビューは波乱の船出でした。

「毎日同じ作業の繰り返しで。4ヶ月位で辞めました。母に怒られると思ったんですけど『人生長いんだからいろいろ経験したら?』と言ってくれて」

その後は、コンビニのバイト、母校のサッカーコーチ、テレビ局のAD、食料品のトラック配送など様々な仕事を経験します。

幾つかの仕事を経験する中で、「人と絡む仕事」が向いているんじゃないか気づき、さらにそこから派手な仕事がしてみたい! と美容ディーラーの仕事に興味を持ちます。

美容室にヘアスプレーなどの商品を卸す、美容ディーラー。

「どうやったらなれるのかわからなくて。いろんな人に聞いて回りました。そしたら先輩のツテで美容ディーラーの会社と繋がることが出来たので直接お願いしに行きました。最初は大卒しか採らないと言われたのですが、1週間毎日通って直談判したら社長に会えて、面接で受かりました(笑)」

諦めず動き続けたことで美容ディーラーとして働くことが叶いました。

24歳で経験した生死をさまよう事故

初めて取り組む営業の仕事でしたが、持ち前の行動力を発揮します。
「仕事ができる先輩にいろんなことを教わって。その先輩の真似をしたら自然と話せるようになりました。結果もついてきて楽しかったです」

しかし、仕事で成果が出始めた24歳。正希さんに大きな試練が待っていました。

「外傷性のくも膜下出血になりました。何とか一命はとりとめたのですが、数日間意識が戻らず、死にかけたのです」

飲み屋街で友人が絡まれているのを助けようとして、ケンカに巻き込まれたのが原因で命を落としかけたといいます。そして、心に残っていることがあるんだとか。

「大けがしたことで会社にかなり怒られて。友達を助けようとしたのにどうして怒られるのかがわかりませんでした。そのタイミングで先輩が不正をしていることが発覚しまして、本社のトップに話しました」

自らの信念に基づいて行動した正希さん。しかし、さらに信じられない現実が襲います。

「経営陣が先輩の肩を持ち、僕は嘘つきという扱いを受けました」

後に正希さんの告発が正しかったと証明されるのですが、結果として美容ディーラーは辞めることになりました。

やりたいことに正直に!-ともかくうごこう

その後、正希さんは広告代理店での勤務を経て28歳の時に独立。広告代理業の傍ら、美容室を自ら開業しました。そしてビーチサッカーイベントの立ち上げ、ラジオパーソナリティ、バーのオーナーなど活躍の幅を広げます。

「ラジオをやってみたかったんですよね。いろんな人に聞いて回ったら『スポンサーがいて、枠が空いていればできる』ということで。いろんなところで声に出していたら、知り合いの社長さんから声がかかって実現しました」

イベントも、バー経営もすべては「やってみたかったから」と話す正希さん。

そこまで「やりたい」にこだわるのはなぜなのでしょうか。

「死んでもおかしくない状況なのに死ななかった。ということは『まだ生きろ』ってことなのかと思って。だったらやりたいことだけやって生きていこうと決めました。」

様々な仕事を経て、「やりたい」に正直に生きる。そんな正希さんには好きな言葉があるそうです。
「知覚動考。ともかくうごこう、と読みます。知って、覚えたら、動いてみて、考える。ほとんどの人は、知って、覚えて、考えたところで止まってしまう。そのまま動けなくなっちゃうことが多いんじゃないかと思います。とにかく、動くこと。失敗することもあるかもしれませんが、いっぱい動いて、それから考えればいいと思います」

秋田で発信を続ける理由

秋田生まれの秋田育ち。今も秋田で活動を続ける正希さん。秋田にこだわり続ける理由とは一体なんなのでしょうか。

「秋田が好きだからです。秋田は確かに悪いところも多いですが、食べ物が美味しく、自然があって、人もあたたかい。もっと秋田が良くなって人が集まるようにしたい。秋田を心から好きだって言ってくれる人を増やしたいんです」

人は人に集まる。ぶつかることから逃げないで

「若いうちは今できること、すぐやったほうがいいです。すべてはご縁。自分も熱量を持って動いたから今があるので。何をするにしても人が相手です。人と人の接点や熱量を交換することを大切にして、ぶつかることから逃げないで欲しいですね。仮に失礼があっても、ごめんなさいとちゃんと謝れば許してくれます。だからもっと勇気を出して踏み出してみたらいいと思います」

「人は人に集まるので。自分と同じ価値観の人にもっと出会いたいですね」

今後は体力づくりをしながら、たくさんの仲間と色々なお店や面白い企画を立ち上げていきたいという正希さん。

やりたいことはやりたいときにやる。

人との繋がりを大切に、熱量を持って人に向き合い、動き続ける正希さんの周りは、たくさんの仲間と笑顔で溢れていました。

Share:
ショーゴ