アトリエ・モリヒコ 市川 草介 北の大地をコーヒーのメッカにする志

近年日本ではカフェの店舗数が拡大傾向となっているなか、道民からも観光客からも長年愛されて続けているコーヒー店がある。森彦だ。今では、「インスタ映え」が主流となっているカフェ業界の中でキラリと個性が光るわけとは。札幌に13店舗展開し、コーヒーのこだわりだけでなく、各店舗の商業空間までこだわって築きあげてきた森彦の代表、市川草介さんに森彦の歴史についてお伺いしました。

 

東京出身ですが、なぜ北海道にこられたのですか?

「小学校一年の時に引っ越してきました。父は自営業だったので移住ですね。当時の東京が高度成長期只中で環境が激変していて、近くの樹齢300年の桜の木がある日突然切られてたり。こんな環境で男3兄弟を育てる自信がないということで、自然の残っている北海道に来たんです。」

 

小さい頃から北海道で過ごしたのですね。その後、高校に行ってからデザインの専門学校に行ったのですか?

「いや、高校は行ってないですね。中学を卒業後そのまま専門学校に行って、昼間は色々な仕事をしていましたね。ペンキ屋だったり、親戚の屋根拭きだったり、美容室で働いていたことも。なんでもやっていました。」

 

いろいろな業界を見てきたのですね。なぜデザインの学校を選んだのですか?

「そうですね。中学生の時、父が持っていた蔵書の総合プロデューサー浜野安宏さんの本を読んでプロデューサーになりたいと思ったのがきっかけです。けど、プロデューサーは大学にも、専門学校にも専用科目がないから、どうやったらなれるかと思って手始めにグラフィックデザイナーの専門学校に入ったわけです。父もグラフィックデザイナーだったというのもあり、入学しました。そこで「なんだよ。平面だけか」と思いました。もっと立体を勉強したくなり、東京のインダストリアルの専門学校に入学しました。」

 

そんなデザインの勉強をしていた学生時代、勉強以外の時間はどのように過ごしていましたか?

「喫茶店巡りばかりしていましたね。喫茶店で将来自分が何になりたいかを空想することが好きだったんです。当時は札幌でも個人オーナーの個性がキラリと光るいい店がいくつかあったんですよ。札幌の裏参道にかつてあった鯨森惣七さんというイラストレーターが作ったトマトムーンというお店。古民家を改装して、クリエイターだからメニューからなにから彼がすべてやって、至るところに鯨森ワールドが見え隠れしていた。それがもうかっこよくて。よく学校の帰りに寄って、飲み慣れないブラックをすすっていましたね。」

 

学生の時にはコーヒーを飲みに喫茶店を巡っていた市川さんですが、何歳からコーヒーを飲むようになりましたか?

「小学校の低学年のころから家でコーヒーを飲んでいました。ただお金をだして飲むようになったのは17歳くらいのとき。」

 

小学生の時にコーヒーを飲んだとき、どんなことを感じましたか?

「小さい時はブラックでは飲んでいなかったです。要するに、コーヒー牛乳みたいなもの。ただしうちは、豆をミルで挽いて手落としする家だった。明治36年生まれのじいさんがよく手挽きのミルで豆を挽いている姿を見て、あぁ、コーヒーって素敵だなって思っていました。」

子供の頃はどのようなお子さんでしたか?外で遊ぶのと、創作はどちらが好きでしたか?

「当時はおおらかな時代だったから、学校に行かないで一日中虫取りをしたり、かなりやんちゃでしたね。親に叱られて外に出されても、やった!と思って裸足で遊びに行ってましたね。超ポジティブ。家でずっと工作を作ったりもしていました。未来少年コナンなどに触発されて、アニメーターになりたかった時期があって、セル画を真似して描いたり、シナリオ考えたり脚本を考えたりなど。作ることが小さいときから好きでした。」

 

そんなコーヒーが好きで、デザインや立体の勉強をして来た市川さんが手がけることになる森彦ができた経緯とは?

「専門学校卒業後は、東京に就職したけど社長と折りが合わず退社。その時出稼ぎで東京に来ていた父が体調を崩したのをきっかけに第二の故郷である札幌で、デザインの仕事を二人で始めました。円山にある小さな建物をオフィスとして借りました。そのオフィスには茶室を作ったので、たくさんの人が茶室に訪れてくれました。そこが森彦を作る原点でもあります。 そして近くの古民家がカフェだったらどんなにいいだろうと目をつけていたら、そこが空いて、手に入れる事ができました。僕がかつて徘徊していた裏路地のカフェを実現できるだろうと思い、立地で勝負するのではなく、商道徳のあるお店を実行したかったんです。 また僕がやりたいのは商業プロデュースだったんです。珈琲屋でアルバイトの経験もないし、喫茶店の経営方法も知らない、右も左もわからない人間が始めました。無鉄砲ととれる若気の至りと、度胸だけはありました。」

 

▲第一号店の札幌円山にある森彦

 

森彦はどのように作り上げていったのですか?

「森彦が完成するのに足かけ3年かけた店だからね。どう考えたって趣味ですよね。当時は人生の中で一番忙しい時期だったから、森彦は土日しか入れなくてやれる時期も決まっていたから、まわりも呆れていました。当時はカフェにしようかギャラリーにしようか迷いながらの改装だったけど、ギャラリーにしていたら今の森彦はなかったですね。」

 

すごく計画的に進めているものだと思っていました!

「だから皆僕の事もともと金持ちですごいノウハウを知っていてそれで始めたって思うかもしれないけど、今までやった全てのアルバイトが活かされています。ただ、大工だけはやったことなかったけど、なんとかなった。」

 

今後やってみたいコンセプトは決まっていますか?

「まだ決まっていないんですよ。僕の場合物件との出会いなので、物件のインスピレーションでお店を作っているから、こんな物件ないかなと思って探すことがあまりないです。その物件に最も相応しい店を作っている。」

 

お客様、人がいるのも含めてデザインしているんですか?

「もちろんです。人も含めてデザインだと思っています。誰もいない空間をデザインしてもあまり意味がないじゃないですか。活きている空間を想像します。」

▲人のいる風景をデザインする

最後に森彦、コーヒー、デザインを通して次世代に伝えたいことは?

「日本は素晴らしいお茶の文化があります。森彦はもともとオフィスに作った茶室からスタートしている。世界のなかで茶の湯の精神からスタートしている珈琲屋はないと思うと同時に、日本は茶の湯の精神を継承している喫茶店がある。例えば注文ごとに一杯ずつドリップするコーヒーは他国ではなかったかもしれない。フルサービスを受けたかったらチップを払わないといけないけど、高くなってしまうのでセルフサービスが生まれた。だけど、日本はフルサービスをするし、一杯のためにドリップをする。これを僕たちは大事にしていかないといけない。闇雲に外国からきたものにほいほいと行くのではなく、日本の純カルチャーをリスペクトしたオーナーたちがドリップコーヒーを作り出した訳だからそこに気がつく必要がある。自国の価値を軽んじていませんか?と思う。丁寧な仕事をしているカフェや喫茶店を大事にしてほしい。海外の人たちは日本の価値を褒めているにもかかわらず、日本人はその価値に気がつかないで外国からきたものしか目を向けないから、僕もなんとかしていきたい。」

 

-就カフェ × マカラボ インターンシップ

今回インターンでインタビューさせて頂いて、とてもがちがちな私でしたがPlantationの落ち着ける雰囲気、淹れ立てのコーヒーのおかげで緊張がいつの間にか解けていました。改めて市川さんが作り上げた森彦の空間のこだわりに感動し、市川さんの人生について、森彦について聞いていくうちに一本の映画を観ている気持ちになりました。お話を伺っていて、「好きこそ物の上手になれ」の言葉がとてもぴったりとくる方だと感じました。私は好きなことを仕事にできている人がとても羨ましいと思っていました。しかし、今回お話を伺って市川さんの行動力に触発され、アクションを起こすことによって自分の人生の選択肢、可能性が広がることに気付きました。ただ「好き」なだけでなく、その「好き」への熱量をどのように行動力に変えるかが大事だと思います。まずは、何をしようか悩んでいる方、発想が欲しい、アイディアが止まらない、アクションを起こしたい人。ひとまず、森彦に訪れて、素敵な空間とコーヒーで夢と空想、妄想を膨らませてみてください。

筆者:福山 莉沙

画像:全て本人提供