
第二夜 きづいていること、きづかないふりをして
その言葉の意味を知っている。
その言葉の「幅」を期待している。
その言葉が自分に都合のいい意味であるように祈っている。
その言葉の意味を知っている。
「家に、面白い映画のDVDがある」
子どものときに言われた意味とはちがうこと。
自分を受け入れてくれるかどうか測っていること。
自分を手に入れたいと思ってくれているかどうか。
その言葉の意味を知っている。
誰かとフィルムの送られる様を観ていることが、無邪気に物語を楽しむことではなくなったのはいつからだっただろう。
女性は知らないふりをすることが義務だと思う。
わからないふりをして、受け入れるのも、かわすのも、予想だにしていなかったという顔をするのが、納税とおなじような義務だと思う。
少女から、女の子から、あの子から、「女性」になった人は
かけられる言葉の裏にある意味を知っている。そして知らないふりをする。
きっと最後まで物語を知ることはなく、しばらくしてからふと、一人寝の夜に観ようとする映画から、その物語を避けることも知っている。
その人を愛していたら、その行動が逆になることも。タイトルを見るだけで、息が苦しくなるような未来も。
無駄だと思いつつも、自分が無意識のうちに、どんな物語を選ぶ人なのかで相手の値踏みをしていることもある。
女性がさも好きそうなものであれば、
きっとこの人は今までもこうして生きていたのだと思うし、
誰でも見たことがあるようなものであれば、
きっとこの人は自分に心を見せてくれない人なのだときめつける。
悲しい癖だ。いらない癖だ。
けれど、「何度も観た大好きな映画なのだ」と言われると
胸が奇妙にうごめくのがわかる。
物語に惹きこまれ、テレビの発する光に相手が虫のようにひきつけられれば
まるで浮気でもされたかのような気もちになる。
私は、どうしてこういつも、誘い文句に乗ってしまうのだろう。
ありきたりな誘い文句にうなずくのは、その人と朝陽を浴びることがどんなに気持ちのいいことだろうかと想像したときにかぎる。
想像して、悪くないと。思いえがいて、愛おしいと思う隙を、どこかに感じている。
隙のある、わかりやすい、そういう人が、きっと私は好きなのだ。
この人はどんなものを愛するのだろうか。
この人はどんな物語に涙するのだろうか。
この人の部屋はどんな香りがして
この人が映画を見るときに、どんな瞳をしているのだろうか。
そういうような妄想がきっと私は好きだった。
だから、どうか、ありきたりな文句をいう日のために
いちばんすきな物語をひとつだけ、持っていてくれればいいのに、と思う。
私を忘れてしまうような、時を忘れてしまうような、
思い出して、忘れていた口づけを慌ててするような物語を知れることが、
夜道の覚悟に見合う報酬だと思うのだ。