インタビュー

【前編】アクシデントを楽しんで味方につける―宮坂るみ子さんの人生観

2016年8月、北海道リレーション株式会社を設立し代表取締役CEOを務める宮坂るみ子さん。観光メディア「北海道ファンマガジン」の運営やアーティストのマネジメント事業、デザインやブランディング事業まで、業務内容は多岐に渡ります。その傍ら、CPサロンのエステティシャンであり、3歳の娘を育てる母でもあります。

「子育て世代の母として、仕事だけに偏らず、家族やプライベートのあり方を示していくためにも、自らが働きやすい環境を作っていくことが使命」と話す宮坂さん。前編では彼女のこれまでの人生、会社設立までの経緯を取材してきました。

開業を目指して歯科技工士の道へ

高校を卒業して歯科技工士の専門学校に入った宮坂さん。歯科技工士として6年半働きます。

「歯科技工士の専門学校だったので、最初の就職先は歯科技工所でした。ゆくゆくは開業したいという思いがあって。中学校時代から経営とか、何かを運営したいと思っていたんです。手に職をつけて開業するのが独立しやすいと思ったんですよね。私が就職したのは、日本一の歯科技工所の札幌支所で、一代で全国展開するまでに成長したところでした。目標は10年後に開業すること!と考えていました」

開業への確実なルートと考え歯科技工士という職業を選びましたが、壁にぶつかります。

「誤算だったのは、仕事をする時間が本当に長いということ。朝8時に出社、終わるのが夜中の4時なんてことも珍しくありませんでした。それで体調を崩して、入院もして手術までしてしまったんです。体を壊したら意味がないと思って、6年半続けた歯科技工所を退職しました」

挑戦をつづけ辿り着いたマネージャー業務

療養後は今までに経験したことのない仕事をやろうと考え、独自の発想力で枠にとらわれない働き方を展開していきました。パン屋さんのレジ打ちを経て、ネイルサロンスタッフも経験。そしてその後のマネージャー業務が今の仕事に大きく関わっています。

「音楽をやっている友達がいたんですけど、その時スタッフが足りないという話があって。平日に空いている日があったので、マネージャー業務を手伝うことになったんです。その後有名なイラストレーターが所属する会社の社長から声がかかったので、入社することにしました。そこで広告業界に足を踏み入れることになります。入って半年後、メインの稼ぎ頭であるアーティストが独立することになり、私も着いていくことに決めました」

今まで社長が5~6年かけて培ってきたノウハウを半年で習得しなければいけなかったという宮坂さん。値段交渉、見積もりの製作、書類の書き方、仕事が入ってきたときの丁寧な断り方、条件だしも全て自分で調べ、考えたのだとか。その頑張りが功を奏して、以前の会社にいたときよりも売り上げを上げることができたと言います。

「しかもここの事務所は毎日18時に閉まったんですよ。30件以上の案件を同時並行でやってたりもしてたんですけど、定時に帰らなければいけなくて。時間が決められているからこそ、働き方が変わりました。今のスタイルにつながっていると思います」

ついに独立。会社を立ち上げ、社長に

その中で大手の広告業界、世の中がどんな風に動いているか見てきた宮坂さんは、北海道にいるまだ知られていないアーティストの魅力を発掘したいと考えるようになります。そしてフリーになって独立。その際は案件ごとにマネジメントを単発で請け負う形を取ることにしました。

「いろんなアーティストの手伝いをしていくなかで、今の会社で運営している『北海道ファンマガジン』の仕事も単発として受けることになります。そこで以前からの知り合いだった編集長の渡邊和樹さんと事務所をシェアすることにしました。でもその事務所が借りて1年くらいで取り壊されることになったんですよね。住所が変わるので、名刺もホームページも変えなければいけなくなりました。でもそこで思ったんですよね……全部変わるタイミングで会社をつくろう!と」

アクシデントもチャンスに変えて、ついに会社を経営するという夢を叶えた宮坂さん。後編では、宮坂さんがどのような思いで今までの人生を歩んできたかに迫ります。

(撮影:渡邊和樹)

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マコ