コラム

サーファーであるパパが娘に学ばされた勉強する意義とは。

「どうして勉強しなくちゃいけないの?」は、誰もが一度は抱いたことがある疑問だと思う。

目の前の教科書を覚えることに、何の意味があるんだろう?
これをやれば立派な大人になれるのかな?
立派な大人ってそもそも何なのかな。
勉強から逃げる言い訳を探すために、子どもたちは一所懸命そんなことを考える。

ある知り合いのタトゥー屋の店長も、ある日息子に聞かれたそうだ。

「どうして勉強しなくちゃいけないの?」

  店長の息子は勉強はできないし学校もきらいらしかったけど、けして不良というわけではなかった。

休みの日には親子二人でサーフィンに行き、朝からくたくたになるまで波を追いかける。
店長も昔から勉強はそれほど好きではなかったし、過去に自分も同じような疑問を抱いて、勉強をやめてしまっていた。

だから彼は、答えられなかった。
息子の、どうして勉強しなくちゃいけないの?という疑問に。

息子は勉強道具を放り投げて筋トレを始めてしまった。
休みの日の息子との憩いの時間。勉強してこなかった自分には、彼を責める資格はないなあと思ったそうだ。

男2人で勉強なんかやめてしまおうと笑っている時、娘がバカじゃないの、と横から口をはさんできた。

店長の娘は高校生で、これもまた勉強のできない子だった。
できないけれど、できないなりに、行きたい学校に向けて勉強しているのを、店長はいつも感心して見ていた。

姉ちゃんには夢があるから、勉強に意味があるかもしれないけど、俺は違うんだ。別に行きたい学校もないし、なりたいものもない。
だから、今自分が夢中になれるサーフィンだけ俺はやっていたいんだよ。
息子は反論した。けれど娘も同じく反論した。

「あんたが今やってるその腹筋って、何の意味があるの?」
息子は答えた。
「そりゃあ、サーフィンもっとうまくなるためだよ」
娘はたずねた。
「腹筋すればサーフィンがうまくなるの?」
息子は首を傾げた。そんな単純な話じゃなかったからだ。

娘はこうつづけた。

この前息子が喧嘩をして帰ってきたとき、お父さんがしっかり息子の話を聞いて、本当に息子だけが悪かったのかを考えさせていた。
息子の話は支離滅裂のように聞こえたけれど、きちんと整理したら喧嘩両成敗であることがはっきりわかった。
あれは、どうして事なきを得たと思うか?

それは、まだ語彙力の少ない息子の話が、それよりも多く学んできた父の言葉のストックに助けられ、他人にも理解できる話に変換できたから。
人が勉強をしてきたかどうかというのは、そういういざというときに何気なく表れる所作でわかるのだと。

「あんたが苦しい苦しいって言いながらやってる腕立てとか腹筋だって、直接サーフィンには役に立たないかもしれない。
けど、いざすごく高い波が来た時のために、体を守るために、しかもカッコよく波に乗れるように備えてるわけでしょ。
勉強もそれと同じ。人生でどんな波が来ても怖くない、カッコよく乗りこなすぞって思えるように、今、苦しくたってこつこつやるの」

店長は、自分って勉強してたんだ、と思ったという。
次にようやく、自分の娘は立派に育ってくれたんだなあと。
父親が、娘に、勉強、人生の意味を教えられた瞬間だった。

この先自分にどんなことがあるか、私たちに未来予知はできない。
私たちにできるのは、前準備だけ。

その準備をどのくらいすれば足りるかなんてわかりゃしないから、きっと苦しいのだけど、大きい波が来た時に、気持ちよくそれを乗り上げられたら。
きっと気持ちいと思うのだ。きっと誇らしいと思うのだ。

さあ、本を開こう。
ペンをとろう。
今意味がないと思うことは、未来の大きな波に乗る筋肉になっていく。

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皐月彩