
90年代一大ムーブメントを巻き起こした裏原宿ブーム。
その裏原ブームを牽引した人物こそがアンダーカバーのデザイナーである高橋盾氏です。
文化服装学院在学中に友人と共にローンチしたアンダーカバーは10代20代のヤングファッショニスタを熱狂させました。
現在もカルト的人気を誇るアンダーカバーのデザイナーであり、自身もインフルエンサーの高橋盾に迫ります。
1 高橋盾とは
1-1 日本のファッションデザイナー
1969年、群馬県桐生市に生まれます。
デザイナーを志した高橋氏は1898年に文化服装学院アパレルデザイン科に入学。
翌年1990年に友人である一之瀬弘法氏と共にアンダーカバーをローンチさせます。
1-2 ノーウェアをオープン
在学中にアンダーカバーをスタートさせた高橋氏は、卒業と同時に自身の服の卸をスタートさせます。
1993年にはエイプの創立者としても知られるNIGO氏と共に、ノーウェアをスタート。
高橋氏が自身のショップ、ノーウェアのロケーションに選んだ場所こそが原宿の裏通り、所謂「裏原宿」です。
家賃が安かったことが一番の決め手だったと後に高橋氏はインタビューで答えていました。
ノーウェアが裏原に誕生したことにより、ユースカルチャーのメインが裏原へとシフトチェンジします。
つまり、ノーウェアから裏原ムーブメントが始まったといっても過言ではありません。
1-3 東京コレクションに参加
1994年、東京コレクションに初参加。
ランウェイによるコレクションをスタートさせます。
1-4 パリコレクションに参加
2003年にパリコレに参加。
現在もパリを中心にコレクションを行っています。
1-5 スーアンダーカバーとメジョンアンダーカバーをスタート
初となるセカンドラインである スーアンダーカバーとメジョンアンダーカバーを2013-14年秋冬コレクションからスタートさせます。
アンダーカバーの世界を手の届きやすいプライスで提供するラインで、ヤングファッショニスタを中心に高い支持を獲得。
ランウェイによるコレクションも行っています。
まとめ
1990年のデビューから30年近くトップランナーとして走り続ける高橋盾氏。
2018年にはタカヒロミヤシタザソロイストと共に行った合同ショーも大きな話題となりました。
世界が注目するインフルエンサーの今後には期待するばかりです。