主眼は「自分がいかに楽しめるか」にある 音楽の可能性を追求する田中K助の今とは

北海道は江差町に生まれた田中K助氏は、ピアニスト、作編曲家として、今や世界中を飛び回って活躍している。そんな氏が直面した、コロナ禍という世界的危機。舞台の仕事がことごとく失われていく中、氏が感じたこと、考えたこととは? ……そこにはコロナ禍を生き抜くことにとどまらず、人生そのものをいかに創造するかという根源的な問いに対するヒントが提示されていた。

 

■ピアノがおもちゃ代わりだった幼少期

田中K助氏と仕事をしたことがある人は、それぞれに違う印象を抱いているかもしれない。ピアニストというプレイヤーとしての一面、作編曲家というクリエイターとしての一面、はたまた、舞台演出を請け負う総合演出家としての一面。果たして、本人は自分自身のことをどのように俯瞰しているのだろうか。

「基本的にプレイヤーではあるんだけど、ステージだけで輝くプレイヤーフォーカスはしてほしくないですね。かといって、サポートと言われるのとも違う。俺自身は物事を総合的に見られる立場が好きなので、(裏も表も含め)ステージ全体を作品として捉えてほしいですね。ステージを演出していくことは、自分がやりたいことが統合されていく感じかな」(田中氏)

そもそも音楽に関わるようになったのは、江差町の実家にピアノがあったから。誰に強要されることもなく、幼い頃からおもちゃ代わりに弾いていたのだそう。

「テレビで聴いたメロディを弾いてみたり、保育園の先生が弾いてたのを覚えて帰って弾いてみたり……物心が付く頃には、自然にピアノが弾けていましたね。自然な流れでアレンジして弾いてたので、知らず知らずのうちに作曲も編曲もやってたんです。むしろ実際に習いはじめるのは11歳と遅めだったし、作編曲を本格的にやるようになったのも札幌に出てきてからでした」(田中氏)

やがて世界各国で演奏するまでになり、バンドやユニットを結成して多くの作品を発表。さらには他アーティストのプロデュースを行ったりツアーに参加したり、舞台の脚本や総合監督まで手掛けるようになったりと、活動の幅はどんどん広がっていった。
そんな中、ステージを仕事場とする者にとって青天の霹靂とも言うべき出来事が降りかかる。新型コロナウィルスによる世界的パンデミックだ。

 

■コロナの影響で仕事が減って良かったこと

「やはりコロナの影響で状況は様変わりしましたね。頼まれ仕事が減って、仕事を待っているだけじゃダメだと思いました。ありがたいことにファンが全国にいるんだから、その人たちに届けるためにも、仕事は自分で作らなきゃ、と」(田中氏)

音楽や舞台を生業とする人にとって、死活問題と言っても過言ではなかったはずのパンデミック。
田中氏は「仕事の量が減って、むしろ仕事の断捨離ができたんです……好きな言葉じゃないけど(笑)」と、考え方をいかに切り換えたか、教えてくれる。

「もともと自分は新しいものを常に発信したいというタイプではなく、自分が心からおもしろいと思うことをやっていきたい、そうじゃなきゃ人に売りたくないと考える方なんです。だからコロナ禍を機に、やりたいこととやりたくないこと、やるべきこととやるべきじゃないことの2軸に分けて、どちらを生かしてどちらを捨てるか、考えました。世の中って、意外と『やりたくないけどやるべきことを優先させなさい』って言うんですよ。自分もそうしちゃってたところがあったんですが、仕事が減ったことでそれも減りましたね」(田中氏)

結果、今はとてもバランスが良い状態なのだと語る田中氏。お客さんが求めるものを提供するのではなく「自分がいかに楽しめるか」ということだけを主眼とし、むしろお客さんの知らないものを教えたい、伝えていきたいのだそう。うらやましいほどシンプルで、どうすればそうなれるのかと問うと、嫌いと言える勇気を持つことだと答えてくれた。「ま、そこに到達するには、俺自身も結構かかっちゃったんだけどね」とおちゃめに笑いながら。

 

■北海道から世界へ、そして音楽が繋がる

現在は札幌在住の田中氏、今考えているのは北海道の文化芸術をどうにかしたい、ということらしい。

「北海道の、というか、日本全体ですね。日本における文化芸術に携わる人の地位をもっと向上させたい。音楽とか文化芸術っていうものは、人間にとって本当に不可欠だと思うんです。それなのに日本では地位が低すぎる。そんなふうに考えていたことも、このコロナ禍で思い出してきました。自分のやりたいことが、よりクリアに見えてきたかも」(田中氏)

では無限に可能性があるとしたら、何をやりたいですかと質問すると「やりたいことがたくさんあるから、200歳まで生きなきゃ!」と言いつつ、考えながら言葉を紡いでいった。

「いろんな国に行ってつくづく感じたのは、文字を持たない文化圏の精神性についてですね。文字がないぶん文明の発達は遅いんですが、そこには伝承があり、神話があり、自然は借り物という感覚があります。つまり自分が何かを所有するという概念がないんです。その分、侵略者に弱い。これって、アイヌの人と似ていませんか?」(田中氏)

歴史的に文化を壊してきたのが戦争であり、それでも芸術が転機となり歴史が変わってきた事実、節目節目で音楽が世界に関わってきた軌跡……。「とにかく知識欲が深いんです」と自負する田中氏の口からは、時代も国も飛び越えた壮大なスケールで、さまざまなことが語られていく。そして、それらを踏まえた上で、今後の展望について言及してくれた。

「ありがたいことに、自分は人前に出る機会があります。それを生かしつつ、世界各国でトラディショナルな音楽に触れて学んで、いつか北海道の音楽との交流に繋げていければと考えています」

言葉を必要としない音楽だからこそ、音楽を媒体として世界を繋げることも不可能ではないはず。田中K助氏の今後の活躍が、ますます楽しみになってきた。

 

【プロフィール】

田中K助(たなか けいすけ)
1979年、北海道江差町生まれ。ピアニスト、作編曲家、脚本家、舞台監督、演出家、プロデューサーなど、肩書きは多数。2017年に自身のバンド「wacca.」を結成し、北海道内外のテレビやラジオ出演、CMソングなども手掛ける。フラワーアートや和楽器、朗読とのコラボレーションで北海道の歴史を描くショー「RENATO project」や、中原中也の詩を音楽で表現した「組曲 山羊の歌 前編」など、音楽の可能性を追求している。

 

2021年8月 田中K助LIVE

8日 @福岡S.O.Ra.Fukuoka 「HAKO FES福岡」
9日 @佐賀雷神 「HAKO FES佐賀」
10日 @京都Jazz Cafe Murra 「岸田うらら×田中K助」
12日 @大塚LIVE BAR◯ 「Let’s Tights!2〜タイトなサウンドを求めて〜」
13日 @下北沢DY CUBE 「岸田うらら×田中K助」
15日 @大塚LIVE BAR◯ 「杉本ラララ(昼公演)」
16日 @グレープス北参道 「住吉貴行×田中K助」
18日 @下北沢DY CUBE 「住吉貴行×田中K助」

※詳しくは田中K助公式Twitterへ
https://twitter.com/KsukeTanaka1

 

 

撮影協力:cafe uningle
札幌市中央区南9条西10丁目1-40札幌グランドマンション地下一階(札幌中央病院となり、なの花薬局下)
cafe time/11:00~17:00
bar time/19:00~22:00
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