インタビュー

【中編】世界で活躍する和太鼓・津軽三味線奏者―木村善幸さん

札幌の歓楽街すすきのを見下ろすバー「Music Lounge Brave+」。

店主であるピアニストの田中K助が今回カウンターにお招きしたのは、和太鼓・津軽三味線奏者の木村善幸さん。日本全国はもとよりドイツでの公演やワークショップを成功させるなど、世界中で活躍する日本を代表する文化人です。

和楽器奏者では珍しい「二刀流」で生きることを決めた木村さんの人生、和楽器を生業とする上での苦悩、壮絶な挫折から再び立ち直った方法、世界に打って出る転機、そして木村さんの考える「カルチャー」について語りました。前編はこちらをご覧ください。

大いなる挫折を経験

前編では木村さんの幼少期から和太鼓・津軽三味線を始めるきっかけについてお聞きしましたが、「二刀流」を職業にしようと思ったのはいつ頃ですか?

和太鼓を始めた時からの私の夢が佐渡の「鼓童」という和太鼓のプログループに入ることだったのですが、津軽三味線を始めたのもそのためだったんです。

どういうことですか?

「鼓童」は受験者が数百人に対して合格者10人くらいの狭き門でして、合格の為には太鼓以外の事もできた方が良いという情報を耳にしまして。中学校の修学旅行で訪れた青森で津軽三味線を聴き、これだ!と。そこで高校1年生から津軽三味線を始め、高校2年生と3年生の時に津軽三味線の全国大会で学生チャンピオンになりまして、ひょっとしたらこの道も行けるんじゃないかと(笑)。

全て今に繋がってますね。まさに順風満帆ですね!

ところが、憧れに憧れた「鼓童」という組織が私には合わず、すぐに辞めて帰ってきてしまったんです。

……えっ、そうなんですか!?だって夢だったんですよね?

はい。「鼓童」に入って法被に袖を通し、大きなホールで和太鼓を打ち鳴らすというのが私の夢だったんですが、4月に入って6月に辞めました。その当時は「最短で辞めた男」と呼ばれましたね(笑)。当時19歳にして、挫折を味わいました。

並みの挫折じゃないと思います。だってそこが目標だったんですよね?

そうです。何もかも無くなりましたね。札幌に帰ってからは毎日、どうやって生きて行こうかと悩み続けました。

帰って来てから和太鼓・津軽三味線は続けていたんですか?

いえ、辞めてました。なにせ鼓童に入る時、太鼓のチームは卒業という形で100人以上に送り出され、三味線は自分のわがままで「太鼓のプロになるので辞めさせてください」と言って辞めた手前、戻るところがないんですよ。

うわ、合わせる顔がないってやつですね。

もう地獄。恥ずかしすぎて死んだ方がマシだと思ってました。だって小樽のフェリーターミナルでみんながテープを持って泣きながら送り出してくれたのに、2ヶ月で帰って来ちゃったんだもの(笑)。

「恥ずかしい」をなくすということ


実は私もピアニストとしては遅咲きで、音楽やりたさに会社勤めを辞めてピアニストとして独立したはいいけど食べていけなくて海外に逃げたり、いろんな挫折を経験して来たんです。一度折れた心が復活するというのはなかなかに難しいことだと思います。立ち直るきっかけというのはあったんですか?

札幌に帰ってから、なぜだか毎日車で1時間以上かけて由仁町のお風呂屋さんに通い続けてたんですよ(笑)。

それは……逃避、みたいなものですか?

そう、逃避です。3ヶ月間かけて色々なことを忘れて削ぎ落として。……でも、なぜか最後に残るのは太鼓と三味線なんですよ。毎日毎日お風呂に入りながら、行き帰りの運転をしながら、どこからともなく聞こえる「何をしているんだ、お前には太鼓と三味線があるだろう、ここで踏ん張らなかったら終わりだぞ」っていう声なき声に自分を奮い立たせていました。

心の声、みたいなものですかね。

そこで一念発起して、太鼓と三味線を持ってお祭り会場やお寺、様々なイベントに飛び入りで参加して演奏を始めたんです。演奏が良いと投げ銭が貰えるので、当時はそれで生活していましたね。

なるほど。……私、以前に木村さんから伺ったドイツのお話を思い出しました。ドイツの公演のきっかけも、たしか飛び入りの営業でしたよね?

そうです! デュッセルドルフの街中で、落語の真打の方による独演会が行われるというポスターを見かけたんです。落語家がやれるなら、自分もできるだろうと(笑)。

その発想がすごいですよね…。

で、その足でホテルに行き、カウンターで片言の英語で交渉を始めたんですが、まあスタッフには変な顔をされるわけですよ。

でしょうね(笑)。

そこでたまたま横から出て来たのがホテルの偉い方で、自己紹介もそこそこに「来年私にやらせてください!」って言ったら「来年と言わず今年やっちゃいましょう」ってことになりまして、ドイツ公演が決定したんです。

実は、以前そのお話を伺った時に「そのバイタリティはどこから出てくるんだろう」と思っていたんですが、先ほどの飛び入りの演奏の話を聞いた時にリンクしました。大きな挫折を味わってなお、場所や仕事を選ばず再挑戦したというのが善幸くんのスタンスの根幹になっているんじゃないかと。

挫折を味わったことで「恥ずかしい」という感覚が自分の中で消えたんです。一度プライドをへし折られたことで「やるしかない」と思うようになりましたね。

堀江貴文さんも同じことをおっしゃってました。人の噂も75日と言いますが、そのうち堀江さんが逮捕されたことも世間の人たちは忘れてしまうし「恥ずかしい」という感情にも免疫が付く。若いうちはどんどん挫折して恥ずかしいことをたくさんした方が「動ける人間になる」そうです。

その通りですね。何に屈することもなく、英語もドイツ語も喋れないのに日本語で公演するくらいですからね(笑)

大きな挫折を味わいプライドも行き場も失った木村善幸さん。しかし挫折の経験を武器に変え、見事に復活を遂げました。【後編】では木村さんの現在の活動やこれからの夢、そして若い世代に伝えたいメッセージを掲載します。

(撮影:留木つばさ)

Music Lounge Brave+
HP: https://ml-brave.com/
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アクセス:南北線「すすきの駅」から徒歩1分
TEL:011-252-9460
営業時間:Open 20:00~3:00
休日:日・祝
STAGE TIME:21:30 / 23:00 各30分程度
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田中K助